アーカイブ 2011年 5月
熊野古道2日目③(4月30日)
苦渋して
難儀して
山頂についた
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=gDAavl7k_Bk[/youtube]
難儀の後の開放感ある空間の広がりと光の渦
神秘的な山並みが紺碧の熊野灘に落ちてゆく光景
風の音と鳥のさえずり
・・・・・無言
太古の行き倒れた巡礼者たちの魂は
こんなにまで清々しい光景や湧き水や鳥の鳴き声や風
そして遠き未来の旅人たちの思いに日々囲まれて
きっと安らかに成仏しているに違いない
なんて現代人のガラでもないことを感じた
前回
人は自然に癒される
人は人に癒される
と書いた
私はここで
「人は文化(歴史)に癒される」
と書き加えたい
同世代で時を同じくして生きている人から「一人じゃない」と思ってもらえることとともに
人は過去に苦渋して生きた人々の痕跡や思いを共有することで
その昔の人たちからも「一人じゃないよ」と語りかけてもらうことができるようになるのだと
off
熊野古道2日目②(4月30日)
民宿を朝9時に出発し昼飯用におにぎりを買おうと
駅前のコンビニに立ち寄った
民宿の女将さんと話していたモードから
都会モードに一時的に切り替わってしまう
やはりここは効率性の世界だ
でも普段都市部でコンビニに入っても何も感じなかったのにな・・・・・
コンビニを出て地元の人たちに道を尋ねながらノルディックウォーキングしてゆくと
すぐに元のモードに戻ることができた
尾鷲湾の火力発電所の煙突や
石油会社の白い大きな所蔵タンクの横をとおりすぎて
八鬼山登山口についたのは出発してから約1時間後だった
八鬼山は山路の急峻さに加えてかつては山賊や狼も出没して
巡礼者たちに「西国一の難所」と恐れられた峠越え
途中には町石地蔵や行き倒れ供養塔などが多く残っている
私も昔の巡礼者と同様に難渋しながら石畳を登っていった
古道の傍らに地蔵がたたずむ
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=vbeS8adgqPc[/youtube]
透き通った鳥のさえずり
かすかな風にたなびく木の葉
新緑の5月の木漏れ日
大昔の巡礼者たちも息を切らしながらも同じことを感じ取ったのだろう
しばらく登ると湧き水のほとりの地蔵さんに出会った
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=-FrxyzDpA38[/youtube]
緑に苔むした石と透き通って冷たそうな湧き水
誰しもその水をすくって口に含みたくなる
太古の巡礼者には体の病や心に悩みを持った者も多く
途中行き倒れる場合も多々あったと聞く
それでも甦りの聖地熊野に行かんとする思いはどんなものだったのか
途中無念にも路傍で行き倒れてしまった人たちの思いはいかばかりのものだったか
熊野古道2日目①(4月30日)
ツヅラト峠を降りて再びJRにのって15時半ごろ尾鷲についた
急いで”夢古道おわせ”に行き海洋深層水の湯につかる
穏やかな尾鷲湾の景色を前に地ビールをいただきながら
宿泊予定の民宿に連絡すると
「遠いから迎えに行ってあげるわ・・・」
やさしい女将さんの声が電話口から聞こえた
29日の夜、尾鷲の民宿山口に宿泊
飾り気のない部屋だが
夕食に出されたこりこりした刺身や季節の魚カマスの焼き物
翌朝食のアジの焼き物
ほくほく食べる
どうしてこうご飯がすすむのかと感じた
何気ない新鮮な地元の料理
こんなにおいしいと思って食べること、普段の都会生活にあっただろうか
4月30日八鬼山に出発する前に
取れかけた私のズボンのボタンをつけなおしてくれる女将さんのごっつい手に
母の安心感を覚えた
人は自然の中で進化してきた
そして自然に負けないよう人は群れを組んで生き延びてきた
それが人間の本来の姿(本能)だ
だから人は自然に癒される
だから人は自然と闘う
だから人は人に癒される
そして癒されたら今度は甦ってゆくのだろう
自然の中で
人の中で
待望の初めての熊野古道!(初日4月29日)
仕事では何度かいったことのある熊野
でもプライベートでは今までまったく行く機会がもてなかった・・・・
長年頭の中の遠いところに持ち続けていたぼんやりした熊野古道への憧憬
今回幸いにも3日間現地を訪ねることができた
いつも滅多に乗ることのないJR鈍行列車に朝9時前にひとり乗車して
津からゆっくり南下してゆく
空いた車両の車窓から田植えの風景を眺めながら
清々しい風とのんびりした時間を楽しむ
ああ、いつもは時計を気にしてるものな・・・
ついつい車に頼ってるもんね・・・
そこには時間や効率性など現代社会の束縛から離れて
不便さを楽しんでいる自分がいた
10時過ぎにJR梅ヶ谷駅に到着
ツヅラト峠を目指しノルディックウォーキングを始めた
ツヅラト峠は
伊勢神宮参拝を済ませさらに甦りの国熊野を目指して
ひたすら山あいの道をあるいてきた巡礼者が
ここで初めて聖地熊野の海(熊野灘)を目にする場所だ
峠のすばらしい眺め
見づ知らずの旅人同士が各々握り飯をほおばりながら
自然にやさしい言葉を交し合う
人は美しい景色にであって感動する心を誰もが持っている
そしてその互いの心の動きを敏感に感じ合う力も持っている
だから美しい景色を前に自づと互いにやさしくなれるのだろう
それぞれの旅人はそれぞれの思いを胸に旅をしているだろう
でも・・・多くは語らずそれぞれの目的地を目指して
笑顔で挨拶して出発してゆく姿に
「一期一会」という綺麗な言葉を思い出さないはずがない
「東京から来た」という一人旅の女性に出会った
NHKドラマ「ウェルかめ」のように地方紙の編集をしているという
明るく落ち着きがあり凛としたところがある美しい人
屋久島にも行ってきた、小説モモが大好きと話してくれる
準備不足で峠で十分な昼飯を食べ損ねた二人は
下山後JR紀伊長島駅前のすし屋でさんま寿司を食べてわかれた
「またね、お互い良い旅を!」
また鈍行列車に乗って尾鷲を目指す
「ええ・・・すし屋にノルディックウォーキングポールのストラップ忘れた!!」
残念!これから先は2本のポールを縛って杖代わりにするしかないか・・・・。
<ストラップを落として・・・靴紐で縛られて・・・・ふて腐れて座席に座るポール君!>
off