三重の美しい自然の中で身近な日常生活圏内にノルディックウォーキングを組み込んでみませんか?

12月3日(土)枚方の杉五兵衛農園を訪問する①!

12月3日(土)枚方にある農園杉五兵衛を訪ねた。
午前中は、農園内の黒豆の収穫とはさかけを手伝って一汗流す。
その後腹がすいたところで園内で収穫された野菜を中心とした昼食をいただいた。

「自然のものの味や甘みは、ゆっくり咀嚼していく中ででてくるなあ・・・・」と再認識する。
我々の周囲に溢れる甘すぎるドーナッツや辛すぎるラーメン・・・・・
それらは咀嚼が減って味覚が鈍っている現代人にも
食べ物を飲み込むだけで味を感じさせる・・・・・・
味覚の楽しみを簡単に感じさせて食欲を喚起させる戦略の一つなのだろうと考えるのは間違いだろうか?

午後になり食後から暗くなるまで園主のお話を伺った。

「農業を越えた農耕の園」
農園杉五兵衛のホームページ「信念」の冒頭に書かれた言葉だ。
ホームページの記述は以下のように続いていた。

(ホームページ抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
農耕とは自ら種を播き、耕し、育てそしてこれを食した。
その育てるという過程におのずと教育が生まれ、
花が咲き実がつくことにより情操が生まれる。
さらに収穫したものをいかに蓄え活かし食するかという中に文化が芽ばえる。
農業という産業に分化してからは、いかに多くの金銭を得るかとする事ばかりに
重点が置かれ、農の楽しみがなくなり教育や文化迄もが衰退してしまっている。
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短文ではあるが、
「教育」「情操」「文化」という言葉を、人類の歴史の生成や個人の成育の観点から、
さらに「農耕」「農業」という言葉を、産業主義の功罪という観点から、
これほど簡単・明瞭に書かれてしまっては我々は清々しい気持ちになるしかないだろう。
おそらく、園主の「大地に働く誇り」というどっしりした視点の存在が我々にそう感じさせているのだろう。
それと比べて我々の視点はどっしりした存在感が感じられない、
どことなく頼りない・・・・・・・。
高度成長時代に育ってきた我々の経験には人間としてもどるべきところ(原点)の実感がないからなのかもしれない・・・。

(次回掲載に続く)

 

 

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