実家で想う「定住性」と「移動性」(6月25、26日)
6月25,26日の週末
梅雨の合間を縫って実家の草刈をした
約30年間私はほとんど住んでいない、父が亡くなり母一人で守ってきた家
その母も今は私の身近で暮らしている
つまり今は空き家となった郷里の実家・・・
こんなケースは
駆け足で成長してきた日本社会によくみられるケースだよな・・・・
「町並み景観保存のため、道路工事をします。説明会を開くので参加してほしいんですが?」
郷里の役所から連絡が入った
会合に出て
「いつもご無礼をしております。○○と申します」と挨拶すると
「ああ、○○さんですか!お世話になってます。お母さんお元気?」
とぐっと距離感が近くなり、ほとんど面識のない私の方が恐縮してしまう
”つながって助け合って生活してきた暖かい場”
親近感・安心感・連帯感・・・・
勤務の都合で約30年間で20回以上引越しを繰り返してきた私には
実家を離れた地での初対面の機会で
ほとんど味わったことがない展開
「定住性」と「移動性」という言葉がある
「定住性」には親密性や連帯性などの面もあるが
外から見れば閉鎖性・排他性を帯びてくる場合もある
「移動性」は解放性・自由性・新規性・創造性などの面があるが
場合によっては異質性・放浪性・消耗性・孤独性などを帯びてくる場合もある
日本社会の高度成長時代の潮流に流されて
エネルギーを持て余して転勤を重ねた私のいままでの職業人生は
「移動性」の立場から「移動性」と「定住性」の折り合いをどうつけてゆくかの
1点だったのかもしれない・・・なんてふと思った
さらに・・・そうか”職業人生”ではなく”人生”としての「移動性」と「定住性」の
折り合いをつける時期がきているのかも・・・とも思った
「定住性」と「移動性」
深め甲斐のある言葉のようだ